1. 原状回復とは 一般的な建物賃貸借契約を締結している場合、賃借人は、アパートや事務所といった建物の賃貸借の終了時に、原状回復をして、賃貸人に建物を明け渡す必要があります。「原状回復」という単語は、そのまま素直に読むと「賃借人が借りた当初の状態に戻す」ということを意味するように思えます。しかし、建物の価値は、居住・使用の有無にかかわらず、時間の経過と共に減少します。また、借りた当初よりも状態が悪くなっていたとしても、通常の方法で建物を使用していただけであれば、そのまま賃貸人に返還すれば良いと考えられます。この点を踏まえ、民法第621条本文は、賃借人の原状回復義務を次のとおり定めています。「賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。」(平成29年法律第44号による改正後)賃借人と賃貸人の間で特約が結ばれていない場合、通常の方法で使用していても発生してしまうような損傷(「通常損耗」といいます。)や経年変化について、賃借人は、修繕する義務を負いません。2. 通常損耗か否かの判断 どのような損傷が「通常損耗」と言えるかについては、国土交通省が公表している「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」が参考になります。(1) 通常損耗に該当するもの 家具の設置による床やカーペットの凹み・設置跡、テレビや冷蔵庫の後部壁面の黒ずみ、日照などによるクロス・畳・フローリングの変色、壁に貼った絵画やポスターの跡、画鋲の穴、エアコンの設置による壁のビス穴や跡、寿命による設備機器の故障などは、賃借人が通常の方法で使用していても発生してしまうものなので、通常損耗に該当するとされています。(2) 通常損耗に該当しないもの これに対し、飲み物をこぼした後の手入れ不足や結露を放置したことによって生じた床や壁のシミやカビ、賃借人の不注意で雨が吹き込んだことによって発生した床の色落ち、清掃・手入れ不足によって生じた風呂・トイレ・洗面台の水垢やカビなどは、賃借人の管理が悪かったために発生・拡大した損傷であり、通常損耗とは言えません。また、引越作業時に発生した傷、喫煙によるクロスの変色、落書きによる床や壁の毀損、重量物を掛けるために壁にあけた釘やネジの穴などは、賃借人が通常の方法で使用していれば発生しないものなので、通常損耗とは言えません。(3) 事例ごとに判断する必要があること もっとも、建物の種類、生活のスタイル、賃貸借契約の内容、損傷の内容や程度は様々であり、賃借人が通常の方法で使用していても発生してしまうものかどうか(通常損耗か否か)は、個別具体的な事例ごとに判断するしかありません。たとえば、一般的な賃貸アパートであればペットの飼育は禁止されているため、ペットによる傷や臭いは、通常損耗にあたりません(前記ガイドライン18頁参照)。しかし、ペット飼育可能な賃貸アパートであれば、ペットによる傷や臭いは、そのアパートの賃貸借契約が想定している通常の方法で使用したことによって生じた損傷です。この場合、ペットによる傷や臭いは、原則として通常損耗にあたると考えるべきでしょう。3. 賃借人の負担範囲 賃貸人との間で有効な特約を結んでいない限り、賃借人が経年変化や通常損耗にあたる損傷を修繕する義務を負うことはありません。古くなった設備を最新のものに取り替えたり、変色したクロスを全面的に貼り替えたりするなどの建物の価値を増大させるような修繕費用を賃借人が負担する必要もありません。また、賃借人が原状回復義務を負う場合であっても、賃借人が常に修繕費用の全額を負担すべきということにはなりません。建物や設備等の経年変化や通常損耗を考慮する必要があるからです。もっとも、フローリング等の部分補修、クロスの部分張替え、毀損した襖紙や畳表の貼り替え等を行う場合は、経過年数を考慮せずに、補修等の費用の全額を賃借人負担としても差し支えないことが多いように思われます。4. トラブル防止のために 原状回復に関するトラブルの発生を防ぐためには、建物の入居時及び退去時に、賃貸人と賃借人の両者立会の下、チェックリストを作成したり、写真を撮影したりして、損傷等の有無、箇所、程度や設備等の使用年数を明確にしておくことが望ましいです。入居時の状況が明確に分からないと、退去時にある損傷等が入居中に発生したものかどうかを確定することができず、賃借人が原状回復義務を負うのか否か、賃借人が原状回復義務を負うとしてどの程度負担をすべきかを決めることが困難となるからです。2022年4月25日