前のコラム「任意労災保険の必要性(1) ~ 政府労災保険による補償は不十分」の続きです。2. 任意労災保険(労災上乗せ保険)とは 任意労災保険(労災上乗せ保険)は、基本的に、「法定外補償保険」と「使用者賠償責任保険」の2つを組み合わせた保険です。「法定外補償保険」と「使用者賠償責任保険」のどちらか一方のみに加入することも可能です。(1) 法定外補償保険 「法定外補償保険」は、使用者(事業主)が、政府労災保険の給付の上乗せ補償(法定外補償)を行うための保険です。業務上の事由による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡(「業務災害」といいます。)が発生し、政府労災認定を受けた場合において、使用者が、労働者又はその遺族に対して政府労災保険の上乗せとして補償金を支払うときに保険金を支払ってくれます。建設業者の場合、この法定外補償保険に一定の要件を満たす形で加入していれば、建設業法第27条の23に基づく経営事項審査(経審)において、「法定外労働災害補償制度」に加入しているものとして、15点の加点評価を受けます。(この経営事項審査の関係において、法定外補償保険は、「法定外労災保険」と呼ばれることがあります。)(2) 使用者賠償責任保険 「使用者賠償責任保険」は、使用者が、法律上の損害賠償義務を履行するための保険です。業務災害が発生し、政府労災認定を受けた場合において、使用者が法律上の損害賠償責任を負い、労働者又はその遺族に対して損害賠償金を支払うときに保険金を支払ってくれます。使用者賠償責任保険は、裁判になった場合の訴訟費用や弁護士費用なども支払ってくれます。(3) 業務災害補償保険 法定外補償保険と使用者賠償責任保険の他に、「業務災害補償保険」といって、原則として政府労災認定を待たずに、死亡・後遺障害補償保険金、入院・手術・通院補償保険金、休業保険金などを支払ってくれる保険もあります。3. 使用者賠償責任保険の必要性 弁護士から見て特に必要性が高いと感じるのは、使用者賠償責任保険です。使用者が、高額な損害賠償金を支払う義務を負う場合があるからです。(1) 損害賠償金の費目 業務災害が発生し、使用者(事業主)が労働者やその遺族に対して法律上の損害賠償責任を負う場合における損害の費目は次のとおりです。積極損害治療費、通院交通費、死亡した場合の葬儀関係費用など休業損害傷病のために働けなくなって減った収入逸失利益死亡したり、後遺障害が残ったりしなければ将来得られていたであろう収入慰謝料入通院・後遺障害の残存・死亡等に伴う精神的な損害に対する賠償しかし、政府労災保険は、休業損害及び逸失利益を部分的にしか補償しません。慰謝料はそもそも補償対象外です。それゆえ、業務災害が発生した場合、通常、使用者は、労働者やそのご遺族に対し、政府労災保険による補償の範囲外の損害について法律上の損害賠償責任を負うことになります。使用者は、使用者賠償責任保険に加入して、多額の損害賠償金の支払わなければならない場合に備える必要があるのです。(2) 使用者が支払義務を負う損害賠償金の目安 ① 計算例 労働災害が発生してしまった場合に使用者(事業主)が支払義務を負うことになる損害賠償金の目安を、具体例で計算してみましょう。〔設例〕年収(額面)360万円の労働者Aさん(男性、29歳)が、1か月100時間を超える時間外労働をした結果、心筋梗塞を発症して倒れてそのまま亡くなり、妻と子1人(7歳)がご遺族となった場合(前のコラム「任意労災保険の必要性(1) ~ 政府労災保険による補償は不十分」と同じ設例です。)積極損害治療費及び通院交通費は、政府労災保険から給付されます。政府労災保険の葬祭料の給付は、葬儀関係費用の実費を補償するものではないものの、葬儀関係費用の多くを賄うことができるでしょう。休業損害この設例では、Aさんは過労で倒れた後そのまま死亡しているため、休業損害は発生しません。仮に、Aさんが倒れてから死亡するまでの間に働けず、賃金を受けられなかった場合、Aさんには、休業4日目から、休業補償給付・休業特別支給金として平均賃金の8割の額が支給されます。しかし、政府労災保険は、平均賃金の残り2割の額を補償しません。 逸失利益事故前の収入(ただし、Aさんは若年労働者のため男性の全年齢平均賃金)545万9500円 × (1-被扶養者2人以上の生活費控除率30%) × 67歳までの就労可能年数38年に対応する中間利息控除のための係数(ライプニッツ係数)22.4925 = 8595万8462円なお、受領済み又は支給確定分の遺族補償年金は損害の填補として控除されますが、支給が未確定の遺族補償年金は控除されません。例えば、Aさんのご遺族が使用者(事業主)を訴え、裁判が終わった時点(正確には、事実審口頭弁論終結時点)でご遺族が2年分の遺族補償年金を受領済みの場合、使用者は、ご遺族に対し、上記逸失利益8595万8462円から2年分の遺族補償年金341万7000円(=年額170万8500円×2年)を控除した残額8254万1462円を支払う必要があります。(支給が確定している遺族基礎年金、遺族厚生年金等も控除されますが、この計算では考慮に入れていません。) 慰謝料2800万円(一家の支柱であったAさんに対する死亡慰謝料の目安です。)政府労災保険は慰謝料を補償しません。使用者は、慰謝料全額を支払う必要があります。以上をまとめると、この設例において使用者がAさんのご遺族から訴えられた場合、使用者は、損害賠償金として約1億1054万円を支払う義務を負う計算になります。② 若年又は高給の労働者が被災した場合は損害賠償金が高額となること 若年労働者や給与が高い労働者を被災者とする業務災害が発生して、労働者が死亡したり、労働者に重い後遺障害が残ったりした場合、使用者は、通常、高額の損害賠償金を支払わなければならなくなります。例えば、ある損害保険会社のパンフレットは、労働災害による判決・和解の高額事例として、損害賠償額が2億4000万円になった過労死の事案を紹介しています。若年労働者が被災し、私が被害者ご遺族の代理人を務めた労災死亡事件でも、使用者側は9400万円超を支払っています。(※ 全ての事件でこのような高額の損害賠償金を獲得できるわけではありません。)上記①の計算例が特別に高額なわけではありません。(3) 使用者賠償責任保険の必要性が高い業種 ① 製造業・建設業 製造業や建設業は、比較的、重大な業務災害が発生しやすいため、使用者賠償責任保険に加入する必要性が高いと言えます。厚生労働省が公表している「令和2年労働災害発生状況の分析等」によれば、2020年に労働災害による休業4日以上の死傷者数が最も多かった業種は製造業で、その死傷者数は25,675人でした。事故の型別は「はさまれ・巻き込まれ」や「転倒」が多いです。死亡者数が最も多かった業種は建設業で、その死亡者数は258人でした。事故の型別は「墜落・転落」が最も多いです。業務災害が発生しやすい製造業、建設業等の業種の使用者は、事故の発生を防ぐ対策を講じると共に、是非、使用者賠償責任保険に加入することを検討してください。② 長時間労働・過重労働になりがちな業種 ~ 道路貨物運送業、社会保険・社会福祉・介護事業等 労働者が長時間労働・過重労働をすると、業務に起因する疾病(脳出血、心筋梗塞、うつ病など)によって死亡(過労死や過労自殺)したり、重篤な後遺障害を負ったりしたりしやすいです。使用者は、労働者の労働時間をしっかりと把握し、長時間労働・過重労働をしている労働者がいる場合には、早急に労働時間を短くするための対策を講じると共に、使用者賠償責任保険に加入することを検討してください。厚生労働省が公表している「脳・心臓疾患に関する事案の労災補償状況」によれば、2020年に脳・心臓疾患の支給決定件数が多かった業種は、道路貨物運送業や飲食料品小売業でした。また、「精神障害に関する事案の労災補償状況」によれば、2020年に精神障害の支給決定件数が多かった業種は、社会保険・社会福祉・介護事業や医療業でした。道路貨物運送業、飲食料品小売業、社会保険・社会福祉・介護事業、医療業などは、長時間労働・過重労働により、労働者が、脳や心臓の病気、うつ病などの精神疾患にかかりやすい業種と言えるため、特に注意が必要です。次のコラム「任意労災保険の必要性(3) ~ 加入時に注意すべきこと」に続きます。2022年6月6日(2022年6月16日一部訂正)