令和6(2024)年7月3日に出された旧優生保護法違憲判決について、ご説明いたします。1. 旧優生保護法の規定に基づく不妊手術 (1) 旧優生保護法の規定 旧優生保護法は、昭和23(1948)年に議員立法により全会一致で成立し、施行された法律です。旧優生保護法には、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的として、特定の疾病や障害を有すること等を理由に、医師が本人の同意なしに行う不妊手術や、本人の同意(及び配偶者があるときはその同意)を得た上で行う不妊手術に関する規定が定められていました。(2) 不妊手術の件数 厚生労働省の資料「旧優生保護法一時金支給法に係る経緯等」によれば、1949年から1996年までの間、旧優生保護法に基づき、約1万6500人の方が同意によらない不妊手術を受け、約8500人の方が同意による不妊手術を受けたとされています。2. 旧優生保護法の改正 旧優生保護法は、平成8(1996)年に改正されて名称が母体保護法へと改められました。この改正により、不良な子孫の出生を防止するという目的が削除されるとともに、上記1.(1)の不妊手術に関する規定等が削除されました。3. 不妊手術の被害者による損害賠償請求 最高裁判所令和6(2024)年7月3日大法廷判決の事案において、自ら又は配偶者が旧優生保護法の規定に基づいて不妊手術を受けた方(以下「一審原告」といいます。)は、国を被告として、上記1.(1)の規定は憲法13条、14条1項に違反しており、国会議員の立法行為は違法であって、不妊手術が行われたことによって精神的・肉体的苦痛を被ったなどと主張して、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めて訴訟提起しました。裁判では、改正前民法724条後段の期間の経過により、この損害賠償請求権が消滅したか否かが争いになりました。(※1)※1 令和元年改正前の民法724条は、次のとおり定めていました。下線部が同条後段に当たる部分です。「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。」4. 除斥期間の問題 (1) 最高裁判所平成元年12月21日判決 最高裁判所平成元(1989)年12月21日判決は、改正前民法724条後段の規定は「不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたもの」で、「被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたもの」であり、除斥期間経過後に不法行為に基づく損害賠償を求める訴えが提起された場合、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により損害賠償請求権が消滅したものと判断すべきであり、被害者側の主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は採用できないと判示していました。(※2)この最高裁判決は、判例として確立し、除斥期間の適用が制限されるのは極めて例外的な場合に限定され、「時の壁」などと呼ばれることもありました。※2 詳細は、裁判所HPにて、最高裁判所昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決の全文をご覧ください。(2) 原審高裁判決 最高裁大法廷判決の事案と同種事案における計5つの第一審の判決(原々判決)は、すべて一審原告の請求を棄却していました。しかし、控訴審5つのうち4つの高等裁判所は、一審原告が有する損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅したとはいえないとして、原々判決を取り消し、一審原告の請求を一部認容する判決を下しました(①大阪高等裁判所令和3年(ネ)第228号令和4年2月22日判決、②東京高等裁判所令和2年(ネ)第2936号令和4年3月11日判決、③札幌高等裁判所令和3年(ネ)第73号令和5年3月16日判決、④大阪高等裁判所令和3年(ネ)第2139号令和5年3月23日判決)。最初の2つの高裁判決が出た時期には、既に、「画期的な高裁判決が相次いで出された」と評されていました(大塚直編『新注釈民法(16)債権(9)』607頁〔松本克美〕(有斐閣、2022年))。5. 一時金支給 平成30(2018)年以降、不妊手術の被害者が各地で訴訟を提起し始めたところ、平成31(2019)年4月24日に、議員立法にて、旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律(旧優生保護法一時金支給法)が成立し、一部施行されました。国は、旧優生保護法の規定に基づいて不妊手術を受けた者等に対し、一時金320万円を支給することになりましたが、一時金の法的性格は明らかにされていませんでした。また、国に損害賠償責任があることも前提になっていませんでした。6. 最高裁判所令和6年7月3日大法廷判決 最高裁判所令和6(2024)年7月3日大法廷判決は、一審原告の訴えにつき、大要、次の判示をしました。旧優生保護法の不妊手術に関する「本件規定は、憲法13条及び14条1項に違反するものであったというべきである。」「本件規定の内容は、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であったというべきであるから、本件規定に係る国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上、違法の評価を受けると解するのが相当である。」「本件の事実関係の下において本件請求権が除斥期間の経過により消滅したものとすることは、著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない。したがって、第1審原告らの本件請求権の行使に対して上告人(※国)が除斥期間の主張をすることは、信義則に反し、権利の濫用として許されないというべきである。」(※3)※3 詳細は、裁判所HPにて、最高裁判所令和5年(受)第1319号令和6年7月3日大法廷判決の全文をご覧ください。7. コメント (1) 除斥期間の問題の立法的解決 令和元(2019)年改正後の民法724条2号は、不法行為による損害賠償請求権は、不法行為の時から20年間行使しないときは、時効によって消滅すると規定しています。改正後民法724条が適用される事案に限れば、被害者は、時効の更新、完成猶予、信義則違反及び権利濫用の主張をすることができるため、上記4.(1)の最高裁判所判決の法理により生じる問題は、立法的に解決されたと言えます。(2) 政治の対応について 岸田文雄総理大臣は、最高裁判所大法廷判決当日の2024年7月3日に会見を開き、政府として真摯に反省し、心から深くおわびを申し上げる旨を述べています。(※4)遅きに失しているとの批判はあるかと思いますが、司法の判断が確定した時点で速やかに謝罪をしたこと自体は評価したいです。また、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された方々が国を訴えた裁判は他にも全国各地で続いていましたが、2024年9月13日に、加藤鮎子こども政策担当大臣と原告や弁護団の代表者が、原告1人あたり1500万円の慰謝料を支払って和解することなどを盛り込んだ合意書に調印しています。(※5)迅速な対応を評価するとともに、訴訟提起に至っていない被害者の方への早期補償にも全力を尽くしていただきたいと考えます。※4 首相官邸HP「旧優生保護法訴訟の判決等についての会見」※5 NHK NEWS WEB「旧優生保護法訴訟 原告・弁護団と国が和解の合意書に調印」(3) 常識に捕らわれないようにすべきこと 上記1.(1)で述べたとおり、特定の疾病や障害を有する方に不妊手術を強制する旧優生保護法は、議員立法により全会一致で成立した法律です。76年前の立法当時の社会状況は、現在とは大きく異なりますが、国会議員全員が、特定の個人に不妊手術を強制することに同意していたということに驚きを禁じえません。同時に、現在、常識と考えられているようなことでも、何十年か経過すると、違法不当と評価される場合があるかもしれないということを意味しているように思います。したがって、憲法13条、14条1項等の規定(※6)に照らして自らの言動等が相当といえるかを、常識に捕らわれずに判断していかなければならないと自戒しました。※6 日本国憲法の規定13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。14条1項 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。2024年9月19日